こんにちは、しょる(@SHOLLWORKS)です。今回は「アメカジ」の定義やスタイル、ブランドについて。
アメリカンカジュアル、通称「アメカジ」は、読んで字の如くアメリカのルーツや歴史に基づいたカジュアルファッション。
洋装文化の中心国であるアメリカの影響力も相まって、世界中で愛されている服や靴が目白押しなジャンルです。
アメカジの多くは軍や労働者階級のスタイルにルーツを持ち、それらが若者文化として取り入れられ、やがて国内外に広まることで「ファッション」として定着しました。
日本では戦後から高度経済成長期、70年代、80年代・・・と、豊かになっていく過程で様々な要素が絡み合い、そして、日本独自の文化や、却って国外へ出ていくカルチャーとも相まって「アメカジ」となっています。
この記事では、ファッションのプロである私しょるが、アメカジの歴史から年代ごとのトレンド、初心者から上級者までできる具体的な取り入れ方までを詳しく解説。
アメカジの魅力や、代表的なアイテムについて紹介していきます。
アメカジファッションの奥深さや日本のファッションとの関りを知ることで、日常のコーディネートがさらに楽しくなります。
まずは、アメカジの歴史と変遷から紹介します。それでは行きましょう!
「アメカジ」とは?起源や歴史、日本でのブームについて解説
アメカジ(アメリカンカジュアル)は、広義にはアメリカ風の衣料品、またはその着こなしのこと。
実は「アメカジ」という定義自体は日本独自のもので、戦後や1960年代から続く複数回のブームによって、今日のアメカジが構築されました。
元々は、第二次世界大戦後の進駐軍や洋画、音楽を通じて、徐々にアメリカのファッション文化が浸透し始めました。
多くは米軍の放出品がアメ横などに流れたところから始まり、日本国民が豊かになるにつれてジーンズ、Tシャツ、レザージャケット、スニーカーといったものが一般へと普及し、ファッションとして確立していきます。
「進駐軍」と「ブロンディ」が、アメリカへのあこがれを搔き立てた
戦後、日本の「敵国」だったアメリカの文化は、一転してあこがれの的になります。
進駐軍の影響や、「週刊朝日」「朝日新聞」に掲載されていた「ブロンディ(アメリカの漫画です)」は、日本人に服装を含めたライフスタイルを伝える役割を担っていました。
Image Photo by 4travel
写真は上野・アメ横の「中田商店」。
写真は現代ですが、戦後すぐの日本人には購入できず、1950年代に差し掛かるとアメ横などで放出品が販売されるようになったそうです。
1960年代の「アイビールック」も、広義の「アメカジ」
1960年代、日本で流行した「アイビールック」も、アメリカ(調)のブランドやアイテムが日本に広まる契機となります。
朝鮮戦争の軍需などによる復興から急速に成長を遂げていた時代、若者を中心に服装に対するルールという名の「スタイル」が取り入れられました。
それが、メンズにおいてアメリカに影響されたブランドによる、アイビールックでした。
アイビールック
中心となったのが、「ヴァンヂャケット」創業者にして、日本の“メンズファッションの神様”と呼ばれた故・石津健介氏でした。
「アメリカ東部のエリート大学生が何を好むか」を渡米して研究し、当時の雑誌である「男の服飾讀本(現在のMEN’S CLUB)」にて紹介していました。
石津氏は「TPO(タイム・プレイス・オケイジョン)」という言葉の発明者でもあり、ライフスタイルとしてTPOに合わせた服装を提案することで、若者の服装に彩りを与えようと試みた人物でもあります。
石津氏はアメリカ東海岸の「ブレザー」や「コインローファー」といったものを日本に伝えるだけでなく、「スイングトップ(英語圏ではハリントンジャケット)」や「トレーナー(英語圏ではスウェット)」を紹介し、これら和製英語の発明者でもあります。
東京オリンピックに沸き、急速に都市開発がされていた東京・銀座にある「みゆき通り」に集まる“みゆき族”にとって、ヴァンヂャケットはあこがれのブランドとして、「アメリカンなスタイル」を提供していました。
ちなみに、当時の本場「アイヴィー」たちの多くは、実際は「ヴァンヂャケット」といったブランドのスタイルよりも、もっとラフな格好だったようです。
1960年代~1970年代に「アメカジ」アイテムが普及
また、1960年代~1970年代にかけて、先述のアイビールックに追随するようにアメリカの「労働者階級」や「庶民」のファッションが日本に普及し始めます。
特に、有名なのが今でもアメカジの象徴である「ジーンズ」。
元々は、戦後のアメ横にリーバイスなどの中古品は出回っていましたが、アイビーなどと同様にあこがれの的でありました。
ジーンズが普及した背景
- ハリウッドスターと映画の影響
- マーロン・ブランドが1953年公開「乱暴者(邦題:あばれもの)」のスクリーン上で、リーバイスを穿きこなす姿に当時の若者が熱狂しました。
- 同じく、ジェームス・ディーンは「エデンの東(日本では1956年に公開)」にて、Leeのジーンズを穿いたことで、「アメカジ」のファッションアイコンに。
- 1960年代に入って国産ジーンズが登場
- マルオ被服(現在のビッグジョン)やエドウィンなどが、国産ジーンズの製造へ漕ぎつけます。
- 岡山県の児島などで独自の染色・織物技術が発達し、後に「ジャパンデニム」として世界的評価を得る基盤が築かれました。
- 1968年の「フランス五月革命」➡カウンターとなる「ヒッピースタイル」の流行
- ジーンズが一般的に、当たり前のファッションとして受け入れられる。
- 学生運動が盛んだった時代でもあり、ジーンズが「反体制的」なシンボルとして着用される。
といった変遷を経て、日本のアメカジスタイルとして普及しました。
あとは、1950年代に入り脱水機能付きの洗濯機、1960年代に二層式洗濯機が徐々に普及したことも大きかったようです。
ジーンズの欠点である「渇きにくさ」が一転して、「気軽に穿けて洗える丈夫なズボン」として受け入れられるようになりました。
その他にも、
ネルシャツ
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- 元々は1930年代に、BIG MAC(ビックマック)などのワークブランドでネルシャツが作られたのが、アメリカファッションとなった切欠。
- 当初はアメリカの労働者やアウトドアマンが着ていたイメージが強い服でした。
- 山登りやキャンプといったレジャーシーンで取り入れられ、またアメリカの労働者階級の象徴的なウェアとしてのイメージも、徐々に輸入されるようになりました。
- アウトドアファッションやワークウェアの一部
- 特に60年代以降、若者層を中心にアメリカンカルチャー(映画、音楽、ファッション)への憧れが強くなります。
- ネルシャツは日本の学生や若者たちの“ちょっとラフでデイリーに着られるシャツ”として意識され始めました。
レザージャケット
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- Schott(ショット)などの「ライダースジャケット」が、ハリウッド映画での影響で注目される。
- こちらもマーロン・ブランドの「乱暴者(邦題:あばれもの)」などにおいて、レザージャケット姿が披露されました。
- ライダースジャケット=不良・ヤンチャ系の象徴として日本の若者にも強い印象を与え、ファッションとしての人気が少しずつ高まるようになりました。
- 1960年代のロックや70年代のバイクカルチャーによる影響
- エルヴィス・プレスリー、ビートルズ、ローリング・ストーンズなど、欧米のロックスターがステージや私服でレザージャケットを取り入れ、音楽シーンと結びつきが強まります。
- 70年代にかけて、バイクカルチャーが拡大する中で、ライダースジャケットの実用性(防風・防護性)とファッション性が認知されるようになりました。
キャンバススニーカー
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- ブランド例:Converse(コンバース)、Keds(ケッズ)
- 特に在日米軍関係者が履いていたコンバースやKedsなどが「アメリカらしい靴」として若者の目を惹き、徐々に認知が高まっていました。
- 学校体育シューズとしての普及
- 1950年代~1960年代にかけて、日本でも体育教育が盛んになり、学校指定の運動靴としてキャンバス地のスニーカーが取り入れられるケースが増加します。
- アシックスなどの国産メーカーもキャンバススニーカーを製造・販売し、実用的でコストを抑えられるスニーカーが大衆レベルに定着しました。
- 1970年代~になると、特にコンバースの「オールスター」やバンズ(Vans)などが人気に
- アメリカ発のブランドを筆頭に「白・黒・赤といったベーシックカラーのハイカット/ローカット」が特に人気で、アメカジの足元として定着しました。
スタジャン(バーシティジャンパー)
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- 正式名称は「バーシティジャンパー」、Versity(代表チーム)+jumperという意味
- 「袖がレザー、身頃がウール」というコンビネーションが定番で、チームロゴやワッペンが付いたデザインも人気でした。
- 着こなし方次第で、ポップにも大人っぽくも寄せられる汎用性があることが支持されました。
- 映画や音楽の影響
- こちらも1950年代頃からハリウッド映画やアメリカのポップミュージックが日本で人気を得て、「アメリカの学生スタイル=スタジャン」というイメージが浸透する切欠に。
- 60年代になると、僅かですがファッションの一部として取り入れる若者も現れはじめました。
- アイビールック・プレッピースタイルの発展
- 60年代後半から日本で人気を博したアイビールック(アメリカ東海岸の大学生風コーデ)に、スタジャンも徐々に取り入れられるように。
- 70年代には“アメリカの大学生が着るおしゃれなスポーツジャケット”として雑誌などで紹介され、認知度が上がって一般化しました。
チノパン
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- 元は軍服で、米軍将校も制服として着ていたミリタリーウェアから派生したカジュアルパンツ。
- 当時は「綿パン」「軍パン」という名称で、シンプルなデザインと丈夫な素材が支持されました。
- 当時は実用性重視で、カーゴパンツなどとひとまとめにされることも多かった服です。
- 70年代から徐々に普及し、ジーンズ同様にスタンダードな「ズボン」になりました。
- ミリタリージャケットやネルシャツとの並行普及
- 同時期に入ってきたミリタリージャケットやフランネルシャツとセットで着用する文化が、一部の若者や古着好きの間で確立されていきました。
スウェットシャツ
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- アメカジの原点となる古着との出会い
- こちらも米軍の放出品から始まり、60年代以降、徐々にアメリカンカルチャーを取り入れたい若者たちや、古着好きの層が探すようになりました。
- スウェットシャツやTシャツなど、ラフで機能的なウェアが「気取らないアメリカの若者文化」の象徴として注目され始めます。
- 今も昔もチャンピオンのスウェットが代表的で、無地やカレッジロゴ入りのものが人気。
- カレッジファッションやアメリカンスポーツへの憧れが背景にあり、大学生を中心に広まりました。
- 裏起毛のスウェットシャツは機能性と着心地の良さで受け入れられるようになりました。
ミリタリージャケット
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- 先述のB-15から派生し、1950年代に導入された「M-51(モッズコート)」や、1965年に米軍に採用された「M-65 パーカー」など。
- 第二次世界大戦後の米軍放出品に始まり、米軍放出品→ファッションへ昇華。
- 1960年代半ば頃から、欧米のヒッピームーブメントなど若者文化の影響を受けて、古着(ヴィンテージ)を好むファッション潮流が徐々に日本にも伝搬しました。
- アメリカでのユースカルチャーに憧れる若者たちが、米軍の古着屋を回るようになりました。
- 1960年代後半、日本でも学生運動や反戦運動が活発化。
- 軍装品が「反戦・反体制」を象徴する服装として使われたり、文化的・政治的背景で着用されるケースもありました。
・・・などが、日本に紹介・徐々に普及した結果、アメカジのアイテムとして定着していきました。
多くに共通して言えるのが「アメリカ文化へのあこがれ」と、学生運動に通じる「労働者意識」でした。
和服や背広しかない時代に新しく、楽で動きやすいんだけれど、労働者的でシニカルな部分もある。そんなスタンスが受け入れられたのがこの時代の定番たちです。
また、後のユースカルチャーの発信源となる渋谷にパルコが開業(1973年開業)し、追うように原宿にBEAMS(当時は「アメリカンライフショップ ビームス」、1976年開業)がオープンしたことなども、独自の「アメカジ文化」を確立する切欠になりました。
また、70年代の末頃からは、日本メーカーによる高品質な「レプリカジーンズ」が誕生したことも、徐々に日本式のアメカジを作り上げる下地となりました。
1970年代後半には「アウトドア」「アメトラ」も伝播する
1970年代になり、ヒッピーや反戦といったトレンドがベトナム戦争終結によって一段落すると、今度はアメリカの若者たちが「健康志向」「エコロジー」に傾倒します。
これらの結果、「アウトドアブーム」が巻き起こり、その影響は日本にも伝わります。
背景と広がり
同じく日本でも1970年代後半、高度経済成長期を経て人々の生活水準が大きく向上し、レジャーや趣味に割ける時間とお金が増えていきました。
そこにアメリカ発の意識が融合し、キャンプやハイキング、登山といった活動に興味を持つ層が急増します。
日本のアウトドア愛好家や若者たちは雑誌や海外旅行、テレビ番組などを通じて、機能性とデザイン性を兼ね備えた「アメリカ製の装備」に魅了されます。
特に1976年に登場した「ゴアテックス」のような新素材や、軽量化・耐久性の強化といった革新的技術が「本物志向」を後押ししました。
代表的ブランドと人気アイテム
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- The North Face(ザ・ノース・フェイス)
- 1960年代にサンフランシスコで創業し、高機能な登山・トレッキング用品を扱うブランド。
- 防寒ジャケットやバックパックが象徴的で、日本のアウトドアショップでも憧れの的でした。
- Patagonia(パタゴニア)
- 1970年代に設立され、自然環境保護の理念を掲げながら高品質なウェアを生み出すブランド。
- フリースやベター・セーターなどの保温アイテムは当時から画期的でした。
- L.L.Bean(エル・エル・ビーン)
- 1910年代にメイン州で誕生した老舗ブランド。
- ビーンブーツをはじめとする耐水性の高いブーツや、タフなトートバッグは日本でも幅広い層に受け入れられ、“アウトドア×タウンユース”の象徴的存在に。
- Eddie Bauer(エディー・バウアー)
- ダウンジャケットを世界に先駆けて開発したブランド。
- 実用性重視ながらもシンプルで合わせやすいデザインが人気を博しました。
これらのブランドは当時の若者にとって、ただ機能が高いだけでなく「アメリカらしい無骨さ」や「本物志向」のイメージを体現するアイテムでした。
やがてファッション雑誌「POPEYE」や「MEN’S CLUB」がこぞって取り上げ、アウトドア装備を日常のカジュアルウェアに落とし込むスタイルが広まり始めます。
日本の場合、コンパクトシティ構造や豊かな自然環境とも相まって、タウンユースとアウトドアギアの境界を曖昧にする、独特の日本的スタイルを形成していくことになります。
アメトラの概念と日本への浸透
一方、「日本人が豊かになったこと」は、違う路線をアメリカから呼び込む契機になりました。
アメリカントラディショナル、通称“アメトラ”は、ブレザーやボタンダウンシャツ、レジメンタルストライプのネクタイなどを組み合わせた伝統的な装いを指します。
1960年代にアイビールックとして日本に紹介され、一部の学生やファッション愛好家の間でブームとなりましたが、70年代後半になると“本場物”が上陸し、再び注目が高まっていきました。
「豊かになった」という威信から、欧や米の、いわゆる「上流階級」(に近い)スタイルが好まれるようになったのもこの時代です。
アウトドアブーム同様に「アメリカの本物を知りたい」「本場の雰囲気を味わいたい」という憧れの気持ちが根強く存在していたことも見逃せません。
ブルックスブラザーズの上陸と代表的ブランド
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- Brooks Brothers(ブルックスブラザーズ)
- 創業1818年、世界最古のメンズブランド。アイビールックの源流の一つと言われます。
- 1970年代後半に日本へ本格的に上陸し、ボタンダウンシャツやスーツなど“オーセンティック”を貫くアイテムが高い評価を得ました。
- J.Press(ジェイプレス)
- アメリカ東海岸の名門大学周辺から生まれた老舗。
- 憧れのアイビースタイルに忠実なパターンと質感が魅力となり、学生から社会人まで支持されます。
- Ralph Lauren(ラルフ ローレン)
- モダンな解釈を加えたプレッピースタイルを得意とし、70年代後半から80年代にかけて一気に日本市場へ進出。
- ポロシャツなどカジュアルラインも含め、若者だけでなく富裕層にも人気を博しました。
こうしたアメトラ系ブランドが人気を得た要因の一つは、当時の日本人が「きちんとした洋装=上質なもの」という認識を強く持っていたことにあります。
特にビジネスシーンでは、伝統的な仕立てや素材感が重視され、若手サラリーマン層にも憧れの的となりました。
この辺りは「アメトラ」であり、いわゆる「アメカジ」とはちょっとズレるのですが、アメリカの新たなカジュアルも上陸した時代です。
1980年代のヒップホップブームと「アメカジ」
日本では、1980年代前半~中盤にかけて、まだヒップホップ音楽そのものの認知度は高くはありませんでしたが、ブレイクダンスやDJ文化などの視覚的・体験的な要素によって徐々に注目されていきました。
加えて、すでにアメカジが定番となっていた日本では、「ヒップホップ=アメリカの最新ストリート文化」として捉えられ、両者の融合が自然に進んでいくようになりました。
テレビ番組でダンスバトルが特集されたり、ヒップホップカルチャーを紹介する雑誌が登場したりすることで、この時期にはアメリカのストリートシーンへの憧れが大きくなっていきます。
また、日本のファッション雑誌「POPEYE」や「Hot-Dog PRESS」などで、アメリカ西海岸・東海岸の若者スタイルをリアルな写真付きで積極的に取り上げていました。
そこにヒップホップやグラフィティに染まったニューヨークのカルチャーが登場すると、「アメリカっぽいラフさ」や「ストリートの無骨さ」を求める読者層を生むことになります。
ジーンズ、スニーカー、スウェットなどにヒップホップ的なオーバーサイズ感や派手なアクセサリー、キャップなどをプラスして「ラグジュアリーなヒップホップスタイル」を作り出していきました。
1980年代末~1990年代初頭の“渋カジ”ブーム
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1980年代後半から1990年代初頭にかけて日本で興った“渋カジ”ブームも、アメカジから派生した若者カルチャーやファッションシーンを語る上で、欠かせないムーブメントのひとつです。
渋カジとは「渋谷カジュアル」の略称で、その名のとおり渋谷を中心に発信されたカジュアルファッションのスタイルを指します。
しかし、その背景には1970年代から続くアメカジやアメトラ、さらには東京のストリート文化が複合的に影響し合った歴史がありました。
まず、前段階として、1970年代後半から80年代前半にかけて日本では“DCブランドブーム”が大きな盛り上がりを見せていました。
これは「ビギ」や「コムデギャルソン」「ヨウジヤマモト」といったデザイナーズ&キャラクター(Designers & Characters)ブランドが、ファッションビルや百貨店などを介して若者たちに“モード系”や“個性派”のスタイルを提案していた時代でした。
派手な色使いや大胆なシルエットが目立った一方、同じ時期には先述の「アメカジ」も同時並行で人気であり、これらが徐々に交じり合うことで、“個性的なんだけれど、気取らないカッコよさ”への志向が徐々に広がっていました。
やがて1980年代半ばに日本経済はバブルの絶頂期を迎えると、果てしない消費意欲が高まる一方、ファッションの世界ではカウンターとして、単に高級ブランドを身に纏うことに一定の距離が生まれます。
手頃な価格帯のアイテムを自分なりに組み合わせて“ストリート感”を出すことがクールとされる風潮が加速し、こうした流れの中で、生まれたのが渋谷発のカジュアルスタイル、すなわち“渋カジ”でした。
日本が世界の最先端となった時代、スタジャンやスニーカー、ジーンズ、ネルシャツといった、アメカジ由来のアイテムがベースとなりつつも、そこに渋谷の若者らしい遊び心やストリート感覚が加わったのが特徴です。
カラーリングをやや抑え、“渋め”で落ち着いたトーンを意識しながらも、適度にロゴやワッペンなどの装飾を加えることでポップさを演出していました。
派手すぎないがどこか個性的であり、個々人のスタイルがメディアに取り上げられることによって広まる、ストリートからのファッションが誕生しました。
この渋カジスタイルを大きく後押ししたのが、当時のテレビや雑誌などのメディアです。
お笑いコンビ「とんねるず」がバラエティ番組で見せた私服スタイルが話題となり、彼らが着こなすスウェットやスタジャン、ジーンズなどが「ダサかっこいい」「粋な不良っぽさ」としてブームを巻き起こしました。
渋谷のストリートやライブハウス、クラブシーンに集う若者たちが“自分なりにアレンジしたカジュアル”を発信し、ファッション雑誌が取り上げることでさらに一般層へと波及していきました。
こうして確立された渋カジは、アメカジやアイビーテイストを土台にしながらも、渋谷らしい“ほどよい軽さ”と“リアルクローズ”感覚が融合したスタイルとして1980年代末から90年代にかけて人気を博します。
カジュアルでありつつも、当時の若者らしいエネルギーと自由なアレンジ精神が詰め込まれたファッションとして、後のストリートカルチャーにも多大な影響を与えました。
1990年代のスニーカーブームと「アメカジ」
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90年代に入ると、ナイキの「エアジョーダン」や「エアマックス」、アディダス「スーパースター」や「スタンスミス」といったモデルが、爆発的な人気を得ました。
それまでもスニーカーはカジュアルシューズの定番でしたが、スポーツ選手やヒップホップ文化との結びつきが強まったことで、ファッションの象徴として確立された点が斬新でした。
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一方、80年代後半から続いていた「渋カジ」以降のアメカジスタイルは、ゆったりめのデニムやミリタリージャケット、白Tシャツなどの組み合わせが主流でした。
こうしたアメカジ特有の“ラフさ”は、ハイテクスニーカーやバスケットシューズのボリューム感と好相性で、ストリート感を一層引き立ててくれました。
90年代のスニーカーブームに乗る形で、アメカジコーデにエアマックスやエアジョーダンを合わせるスタイルが若者を中心に大きく浸透していきました。
さらに、ヒップホップやR&Bシーンがアメリカのストリートファッションと結びついたことで、日本でも音楽とファッションが融合した新たなカルチャーが展開されます。
アメカジテイストのワークウェアやバギーパンツ、オーバーサイズのTシャツに、最新モデルのハイテクスニーカーを合わせる、といったコーデが90年代後半に広がりました。
2000年代の「アメカジ」とストリート要素の融合
2000年代に入ると、90年代ほどの派手なスニーカーブームは落ち着きを見せますが、アメカジとストリートの融合が一層進みました。
特に顕著だったのが、「裏原系」や「アメ村系」などのカルチャーとの融合でした。
そして、今度は日本からBAPE®のような、海外のストリートシーンへ「逆輸入」するような影響を持ったブランドたちが登場します。
また、木村拓哉さんがドラマやバラエティで来た、通称「キムタク着」と呼ばれた服にプレミア値が付くなども、アメカジそのものや「裏腹系」を押し上げた社会現象として挙げられます。
その他にも、
- タウンユースにオーバーサイズの服やアウトドアアイテムを取り入れるコーディネートが広まる
- パタゴニアやノース・フェイスといったアウトドアブランドのジャケットやバッグを、アメカジスタイルに混ぜ込むスタイルが流行しました。
- ハイテクスニーカーを卒業し、再びレトロスニーカーやクラシックモデルが注目を浴びる
- コンバースの「オールスター」やナイキの「コルテッツ」、ニューバランスの「990シリーズ」といったシンプルなデザインのスニーカーが流行に。
- スニーカーに加えて、スポーツブランドのウェアやキャップなどもコーデに取り入れることで、さらにカジュアルかつ個性的なスタイリングが可能になりました。
- 高品質な「日本製デニム」「ユニクロ」が国内外で受け入れられる
- 「桃太郎ジーンズ」「ステュディオ・ダ・ルチザン」のような日本発ブランドが国外でも支持されるようになりました。
- 一方、長い不況に突入することで消費に陰りが見えることで、リーズナブルなユニクロのジーンズも人気商品になりました。
といったトレンドが、2000年代のアメカジ界隈で興りました。
2010年代の「アメカジ」ファッション
そして、2010年代に入ると、アメカジは確立されたスタイルの上で、新しい潮流や他ジャンルとの融合によって多様な展開を迎えました。
具体的には、2000年代の終わりに高まりを見せていた“プレミアムデニム”や“ヘリテージ(伝統回帰)”の流れを引き継ぎながら、「よりミニマルで実用性を重視する動き」「ストリートとの本格的なクロスオーバー」などが、同時進行的に起こっていきます。
2010年代になると、インターネットだけでなく二次流通やSNSも盛んになるため、「一つのムーブメントに皆が足並みを揃える」という動向ではなく、より複雑で同時多発的なトレンドが発生します。
「ヘリテージリバイバル」の継続と深化
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- ヘリテージ系ブランドの人気
- 2010年代前半は、レッド・ウィング、オールデンといったアメリカの老舗シューズメーカーが継続して支持を得ました。
- 「2nd」や「Lightning」「Begin」などのメンズ誌が盛んに取り上げたことも相まって、ヘリテージやヴィンテージ感を押し出すスタイルがより深く定着していきます。
- 国産デニムとファストファッション
- 岡山・児島などで培われた日本のデニム製造技術は海外からも高評価を得ており、その流れは2010年代も継続。ブランド独自のセルビッジデニムやスペシャルコラボなど“作り込み”にこだわった一本が人気を集めます。
- 一方で、ユニクロやGUなどのファストファッション勢もセルビッジ風デザインを展開し、アメカジの定番“ジーンズ”が価格面で多層化しました。
ミニマル路線・ノームコアとの接点
- “Normcore(ノームコア)”の台頭
- 2010年代半ば頃からファッションキーワードとして話題になった“ノームコア”は、「究極に普通な服装」を指すスタイル。
- 無地のTシャツやシンプルなスニーカー、オーバーサイズのスウェットなどをあえて主張なく着こなすことで“こなれ感”を演出するというものでした。
- これに対してアメカジでは、デニム×白T×スニーカーといったベーシックな着こなしが、より“無駄のないファッション”として評価されるように。
- アイビールックやワークウエアをノームコア風に落とし込むアレンジも散見されました。
- ファストファッションとの融合
- ユニクロやGUをはじめとするファストファッションがベーシック&リーズナブルなアイテムを量産したことで、アメカジの定番をより手軽に取り入れる層が拡大。
- たとえば、ユニクロのデニムやヘビーウェイトTシャツを買って、自分なりにワンポイントでブーツやヴィンテージジャケットと組み合わせる、といったミックスコーデが一般的になりました。
ストリート&アウトドアとの本格的クロスオーバー
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- “アーバンアウトドア”の人気
- 2010年代はシティーユースの延長として、ノースフェイスやパタゴニア、コロンビアといったアウトドアブランドのアウターやバックパックが日常着に取り入れられる動きが急速に拡大。
- 伝統的なアメカジ×機能的なアウトドアウェアという融合は、日本独自の“タウンユース寄りのアウトドアファッション”を形づくる重要な要素となりました。
- ストリートブランドとのコラボレーション
- WTAPS、NEIGHBORHOOD、Supremeなど、ストリートブランドが“アメリカンワークウエア”や“ミリタリー”をテーマにコラボアイテムを発売することも珍しくなくなりました。
- Dickies、Carhartt、Championなどアメリカの老舗企業とのコラボレーションが好評を博し、従来のストリートファッションにもワークテイストやヴィンテージ感が取り入れられる流れが促進されました。
ヴィンテージ市場の確立と“古着MIX”のスタンダード化
- インターネットによるヴィンテージ市場の拡大
- 2010年代には、フリマアプリ(メルカリなど)やオンラインオークションの普及で、国内外のヴィンテージアイテム取引が格段に活発化。
- レアなヴィンテージデニムやミリタリージャケットを手軽に探し、比較的安価からプレ値まで、個人間で購入できる機会が増えました。
- 新旧融合のスタイルが定番に
- たとえば、古着のリーバイス501をファストファッションのトップスと合わせる、古着のネルシャツにハイブランドのスニーカーを合わせる、といった“ヴィンテージと現行品のミックスコーデ”は、2010年代後半には全く珍しくないものになりました。
- アメカジ好きにとっては、古着の一点ものをどう取り入れるかが、ファッションの楽しみ方の一部として確立されました。
ここまでくると、「現在もそうしているよ!」という方も多いのではないでしょうか。
定番そのものは確立され、さらに半世紀以上の歴史が積み重なることで、アメカジは時代という「縦軸」にも、スタイルという「横軸」にも多様化した時代を迎えています。
初心者から上級者までできる「アメカジ」の取り入れ方
ここまで、時代の流れと共にアメカジを解説してきましたが、
といった声も聞こえてくると思います。
そこでここでは、アメカジのベーシックな着こなしについて紹介します。
「基本となるコーディネート例」「季節ごとのスタイリングのポイント」「コーデの際、気を付けたいポイント」をご紹介します。
2025年の「アメカジ」基本の型を紹介
ジーンズ×白Tシャツコーデ
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- トップス:白Tシャツ(柄はあってもなくても◎)
- ボトムス:テーパードからルーズシルエットまで、なんでもござれ
- シューズ:「髪の色」「デニムのステッチの色」「グレーなどの中間色」といったカラーだと調和しやすい
- その他:必要に応じてアクセやビスチェ、腕時計などのワンポイントや、タックインで「ベルト見せ」などもアリ
世界で最も多い組み合わせの服装かもしれませんが、究極にシンプルだからこそ、上下どちらか(どちらも)の服におけるシルエットやディテールに工夫を持たせると、納得感あるコーデになりやすいです。
あとは、必要に応じてワンポイントアイテムを追加したりしてバランスを整えましょう。
チェックシャツ×ルーズシルエットのパンツ
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- トップス:チェック柄のネルシャツ
- アウター:都会的でクールな印象を与えるもの
- ボトムス:ルーズシルエットのチノやカーゴパンツなど
- シューズ:清潔感あるコインローファーやクラシックスニーカー
相当な“シブオジ”オーラが出ていないと、コテコテのアメカジ定番品だけで雰囲気を出すのは難しいと思います。
ダサ感あると思われがちなチェックのネルシャツに「あえて着ている感」を出すために、アウターや靴、小物で補うイメージです。
スウェット×デニムジャケットのコーデ
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- トップス(インナー):無地またはワンポイントロゴのスウェットやパーカー
- アウター:デニムジャケット
- ボトムス:スウェットパンツ
- シューズ:丸みを帯びたシルエットのスニーカーやカジュアルシューズなど
上下デニムにすると、特に初心者にとっては難しいコーデになりがちです。
スウェットパンツを上手く活用してデニムジャケットと着合わせると、「だらしなさすぎず、デニムマンにならない」塩梅にできます。
ミリタリージャケット×パーカ×カーゴパンツ
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- トップス(インナー):スウェットやフーディ(パーカー)
- アウター:M-65やMA-1などのミリタリージャケット
- ボトムス:ベージュや白など、ナチュラルカラーのチノ/カーゴパンツ
- シューズ:キャンバススニーカー、ワークブーツ、ミリタリーブーツなど
一口に「ミリタリージャケット」といってもタイプはさまざまですが、アウターの色を活かしてトップスやボトムスの色を選ぶとハマりやすいです。
足元は警戒感を出すならキャンバススニーカー、重厚感を出すならワークブーツも良いですね。
季節ごとのスタイリングのポイント
春
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- 軽めのアウター:デニムジャケットやナイロンパーカーを取り入れる。
- カラー選び:明るめのチェックシャツや淡色デニムで爽やかさを演出。
- 足元:スニーカーなどキャンバス地のシューズを選ぶと季節感が出やすいです。
夏
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- Tシャツ&ショートパンツ:Tシャツにデニムショーツやカーゴショーツを合わせる。
- 小物:キャップやサングラスでストリート感をアップ。
- 素材感:薄手のコットンやリネン混アイテムで通気性を確保しつつ、軽快な印象に。
秋
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- フランネルシャツやスウェットシャツ:ブラウンやオリーブなど落ち着いたアースカラーが季節感を高める。
- レイヤード:Tシャツ+ネルシャツ+ライトアウターなど、重ね着で温度調整もしやすい。
- 足元:レザーブーツやハイカットスニーカーも似合う季節。
冬
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- アウター:レザージャケットやダウンベスト、N-1デッキジャケットなどを取り入れる。
- 防寒対策:厚手のデニムやコーデュロイパンツ、ウール素材のマフラー・ニット帽をプラス。
- カラーコントラスト:アウターに濃い色を持ってきて、インナーを明るくするとメリハリが出ます。
その他、ちょっとしたコツ
- サイズ選び
- アメカジはオーバーサイズも魅力ですが、初心者ならジャストサイズ~ややゆるめ程度が扱いやすいです。
- 体型に合わせて、トップスをややゆったり×ボトムスをスッキリのYラインか、Oラインなどバランスを取ると今っぽくまとまります。
- カラーのバランス
- カーキ、ベージュ、グレー、ネイビー、白、黒といったアースカラー・ベーシックカラーを中心にすると、統一感が出て失敗しにくいです。
- 差し色を入れるなら、小物(キャップやスニーカー、ソックスなど)で赤やイエローをポイントに使うとおしゃれ上級者の印象に。
- 小物使い
- アメカジは服自体がシンプルになりがちなので、腕時計(ミリタリーウォッチやダイバーズウォッチなど)やキャップ、レザーブレスレットなどでアクセントをつけると◎。
- ただし盛りすぎには注意。あくまで1~2点入れるだけで十分存在感が出ます。
これらも参考にした上で、アメカジの世界にどっぷりつかってみてください!
終わりに|時代を超えて愛され続ける、日本式「アメカジ」スタイル
今回は以上です。
日本という国は、ファッションに限らず、戦後から一貫してアメリカに強い影響を受けています。
アメリカの動きは大体数年後に日本でも同じ動きをすることが多く、これは企業の動向然り、紹介してきたファッションのトレンドも然りです。
その中でも、特に80年代以降の日本における「自分たちのものにしてやろう」というムーブメントが、私はとても好きです。
ダルチザンをはじめとする「レプリカジーンズ」であったり、BAPE®のような「ストリートブランド」の発生であったり。
アメリカのものに、日本独自のコンテンツがプラスされる様が、とても素敵な文化の蓄積だと思うのです。
古臭い、オーセンティックなレザージャケットやデニムを愛する一方で、リーズナブルで真新しい服も取り入れる。
とても複雑化したアメカジジャンルもまた、ファッションを無限に楽しめる土壌が出来上がっていると思います。
アメカジは、ベーシックなアイテムを押さえるだけで誰でも気軽に始められます。
経年変化や素材の良さを実感しながら教科書を参考にしつつ、「これとこれを着合わせたら似合うかな?」といった自分流を見つける過程こそ、ファッションの醍醐味なのだと思います。
ぜひ、ルーツや歴史に思いを馳せながら、あなたのファッションライフを豊かにしてみてくださいね。
おしまい!
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